fbpx

ブログ

人生の終わりを自分らしく迎えるために【講演内容・一部抜粋】

【2019年1月11日 味酒高齢クラブの講演会にて】

皆様 こんにちは、かくだともえと申します。今日はこのような機会を与えて頂きまして、誠にありがとうございます。本日は、「自分らしく人生の終わりを迎えるために」というテーマでお話をさせて頂きます。

 

人生の終わり、とくに死ぬ間際の3日間、あるいは30分間をいかに過ごすのかという話になります。この短い期間がその方の人生の総まとめのような場面として現れると感じているからです。逢いたい人に逢うことができ、詫びを言いたい人にきちんと詫びを言うことができ、お礼を言いたい人にはっきりと感謝の気持ちを述べることができる。そして自分のイメージどおりに死を迎え方ができることでその周囲の方も悲しみの中でも幸福感を味わうことができるからです。

 

なぜ、わたくしがこのようなテーマでお話をするかといいますと、私の父の死が大きなきっかけです。

 

私の父は3年前に膵臓がんで亡くなりました。見つかった時は手遅れでした。私は16年前に離婚をしましたがその頃からずっと父とはわだかまりがあって関係が疎遠になっておりました。父ががんの末期だといわれても、お見舞いにもなかなか行けませんでした。なんという親不幸な人間だと自分も思いましたが父とゆっくり向き合って話をする機会もありませんでした。

 

 

しかし、母からもう危ないかもしれない、といわれてすぐに病院にかけつけました。痛みで苦しそうな父がそこにいてショックでした。それからすぐに泊まり込みの用意をしてベッドの横で寝泊まりし、久しぶりに父と向き合って話をすることができました。私はこれまでのことを誤り父も許してくれました。やっと昔の父と娘のような関係に戻ることができました。

 

 

そこで家族全員で父の最後を見送りたいと思い片時も離れずそばにいて、いよいよ厳しい状況なりました。東京にいた弟にもすぐに帰ってくるようにいい、最終便に飛び乗った弟が空港について病院にかけつけて病室に入るとすぐに「お父さんに見せたいものがある」といってカバンからパソコンを取り出し、父のベッドの上で映像を流し始めました。それは40年前に父が撮影した家族で遊びに出かけた時の映像で弟が8ミリビデオを編集したものでした。

 

 

本当は弟の結婚式の時に流そうと思っていた映像を病室で家族全員でそのビデオをみることができ、「懐かしいね」といいながら最後の時を過ごしました。その後息がだんだん、ゆっくりになって息を引き取る瞬間を家族全員で看取ることができました。

 

 

父が亡くなったことは本当に悲しかったですが、しかしながら幸福感にも似たような気持ちになりました。死ぬ間際の30分間の出来事ですが今も鮮明に残っています。それが私たち家族全員がこれからの人生の生きる力になっていると今は確信しています。

 

 

父は自分ががんであることを知ってからすぐにエンデングノートを書いて自分が死んだあとのことを事細かく書いて残していました。遺影の写真も自分で用意していて、40代の一番自分が輝いていた時の写真を飾ってほしいと遺言を残していまして、葬儀の時の参列者の方に向けたメッセージも自分で書いて喪主の弟にも託していました。その手紙に「遺影の写真と棺の中の自分の顔にギャップがあることをお許しください」とも一言加えておりユーモアも交えた手紙でした。

 

 

自分の死をこんな風に過ごしたいと鮮明にイメージしていたんだと思います。最後に家族に見守られて死にたいということも父は自らイメージしていたんだと思います。自分の死ぬ時のことを考えておくことの大切さと死んだあとの事を考え準備しておくこと、そして子供に自分の死をもって人間の最後はこんな風になるんだぞと身をもって教えてくれたんだと思います。

 

 

今は人の死に直面することも少なくなりました。死ぬ時に立ち会うことができる人はごくわずかです。病院や施設で働いていてもそのような方はほんの一握りです。しかし、この死を直接目の前にすることは生きるとは何かを考える重要な機会だと私は思っています。また、一人で孤独に亡くなっている方が多い中で住み慣れた場所で家族や親しい方に囲まれて安らかに死んでいくことができることが人間にとって何より幸せなことではないかと思うからです。

 

本人だけではなく、その家族、周囲の方も死を見届けながら、悲しみの中でも幸福感にも満たされることがあるからです。

 

 

今は家で最期を迎えたいとする方も増えてきました。それまでの期間をどう過ごすのか、言い残したことはないか、謝りたい人に素直に誤ることができるのか。「死に方=生き方」とくに私はこれを一番今感じています。いかに生きるかで死に方も決まってくる。楽に死にたい、ポックリ死にたいと思ってもなかなか思うようにいかないようです。

 

皆さんにとって、まだ人生の最後を想像するのは遠いことかもしれませんが、この機会に少しイメージをしてみてください。

 

自分が人生の終わり、最後の3日間をどこでどのような人と過ごしたいのか?

最後に誰に感謝の言葉を言いたいのか?

 

そうすると今何を大切にしなければならないのかが見えてくると思います。

 

わたしはこれまで介護の現場で働き、一人ぼっちで亡くなって家族も来なくて、最後は市の職員の方が霊柩車で来て、誰も付きそうことなく一人で火葬場に連れていかれる方をみて本当に辛く思いました。どうしてこんな風になってしまったんだろうと。家族の関係、地域とのつながりが希薄になっている今、このように一人で死を迎える「孤独死」の問題はこれから深刻な問題になると考えています。

 

私は愛媛県に住んでいる方が自分の人生の終わりを自分らしく幸せを感じながら死を迎えて頂きたいと思っています。

 

今、京都府では『看取り対策プロジェクト』という取り組みがなされています。住み慣れた場所で自分らしく最後を迎えるために

■地域で孤立死をなくす

■一人ひとりが命について考え死に向き合える社会をつくる

■死を通して生きることの学びをする

■状況、状態に応じて柔軟に療養する場所や医療機関、施設を選ぶことができる

 

 

最後まで家で過ごすことができるように地域と行政、医療機関、福祉機関、教育機関が連携して取り組みを行っています。

 

これを愛媛県でも実施していきたいと思っています。

 

 

現在、地域包括ケアといって地域単位で連携を取りながら高齢者福祉をサポートしようという取り組みが行われていますが今は子育てしながら介護もしなければならない方もいる。この取組みを『生命の誕生から最後を迎える時』まで、トータルで地域で支え合う社会をつくりたいと思っています。また、今後は外国人の方も多くこの松山に居住するようになります。様々な国の方が地域で溶け込めるような対策も必要です。

 

この愛媛県に住む方々が安心して暮らしていける社会を目指して、人間の最終ゴールである「死」を見つめていくことで「生きる大切さ」を感じることができる社会、それはこれからの私達一人ひとりの課題です。

 

PAGE TOP